感極まる瞬間の感動のなかに、自分が時間をさいて関わってきた行いのすべて、
その行いそのものが持ち得る、誇りにおもうことの感じ方の高揚感。
そこからくることの、持ち合わせたはずの、鵜呑みの言葉に、酔いしれる。
それは、拘束された人間の心理的趣きとして、しばられた自由のなかにいる
孤独のさいなやまされかたに及ぶ、手助けになると思う。
自分が、基本的に感じる行為のなかに、どうしても、期待どうりに思う自由な
時間が、あれば、いいことに期待できることの心構えになってくる。
人が本当に思うことの、どれかのことに、期待に反する自分に、主に感じ入れる
ことの愛嬌のなかに、五体満足なことの満足感が勢いにのっとってじぶん以外の
人間に対する思いのたけを、感じ入ることの中身のありようが、自分としての
感じ方の中身に対しての空洞化した、自分の欲求がありのまま、ダイレクトに
跳ね返ってくることの、勤しみようが起こした地道気持ちのなかに、いかんともしがた
いおこないの明るみが、いかに、自分が思っている以上のおももちになれば、いいこと
の前触れとして、いきなり感じることのできる、自分の誇りになる。
それは、誇りとして思うことのすべてではなく、時間とともにすぎていく、ありきたり
な雰囲気として、僕のなかに咲けば、僕の気持ちはおごらずとも、僕自身として
感じ入ることのすべてになりえる。
「環境がどうであり、期待に反して自分が誇りたいことのかりそめは
僕の壊れた自分の持ち直しではなく、あったかい懐の中身だ」