自分がほのめかすことない、いわれのない事実でも、人は基本的に行いのあからさま
さにたいして、僕としてではなく、奇人のような、自分とおもえないほどの邪悪な存在
として判断できそうな、人とのわだかまりのなかで、僕の思う人の良さってなんだろ
う?
妄想のなかに、入り込んでくる、人の感じることのできる、意味のない言葉って、
自分にとっての、意味の掘り下げになってくるようで、思っている以上の本心の
あからさまさに、思うひとの感じ方になってくるのか。
自意識のなかの行動制の衝動として、自分のおこないが人にとっての感じに悪印象
をもってしまうことに、新しい自分の開眼として、自分の悩みを打ち明けることに
自分がありがたいとおもえることの、自分がいい子にしていることの我慢として
自分が記憶にあることのすべてとして、僕がいい子に目覚めるかのごとく、自分の
悪いことのなぞらせかた、いい子のノリでいい風に思わせることの、感情の期待感が
意識のなかで、十分にありきたりに感じ入り、答えに関する思惑が感じえる人との
答えの持ちようであって、こらえようがない、自分の勘違いではないかと思うと
勢いになって変えってくる答えが基本的な本当の印象にたいする、人の素直な気持ち
に思うことの、ダークな感覚が本質的な行動の素っ気なさになっていき、自分が思う
ことのほのかな思いにたいする印象操作が、おもいきった行動の原点にならずとも
その感じ方の感度が、段階的に変わっていくことの、行動の価値観として、焦点の
しぼれているレンズのように、とおく見渡せることのできる、澄んだ心のように
、惨憺たる思いのなさに、わだかまりのある人に感じる、底なしの美徳感情が
人に感じ方の術を教わるかのように、僕と人の間に感じ入る自分の心の打たれよう
に、憧れ惑う自意識の謎、それは、基本的な要求として、自分が感謝できることの
喜びにおもうことの、わだかまりの意味。
「自分が思っている以上に、人はそう思いたがるのには、自分の感じ方
が一緒になれることの憧れが、人のなかの僕であってほしい」