ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

本来の人間がポジティブなのか、人間としてネガティブになりたくないか

自分の本来の人間性として、どうとらえれるか?

自分がいきつく答えとして、人間の破壊欲求として本来の自分

が、あらゆる生き物にたいしてやさしさをくばれることができない

ことの業というべきか、自然と一致しない人間としておもいのほか

ネガティブそうな感情にとまどいながら生かされている。

アイデンティティがそうなるようにもっていくのか?

自分とは本当は違うことになっているかのような、自分の人間と

いしてのポジティブな一面と、人間として感じ入りにくいことの

起こりや終わり方の想像のなかで、始まりとはこんなものとか、

終わりの意味はこういうことでいいというほどの悟りに感じ入る

自分の内省的なニヒルな感じ方のなんでもない傷つきやすさからくる

至らなさの不格好さに、おどけて、笑って魅せることの恥の勘違いが

本当の意味を知らないで梵字の中身に心底しびれるような、格好の悪さ

にありえて、気分が本当は自分としての一面のように真剣にとらえている

ことのネガティブな自分の斜めに見える本来の自分のないこころらくる

永遠の感動の無駄使いが、ポジティブな感じ方の意味にくってかかって

くる感覚的な自分の落ち度のなさ。

自分の地響きのように押さえつけれない、自分のエゴがスムーズに聞こえてくる

時間の切迫感に悩む、本当の答えは、まるで、宇宙が自分の為に渦巻いている

かのごとく感じられる、自己中心性の感情の渦に似ている。

時間があからさまに本気にさせない、無駄な浪費の様な、エネルギーのロスは

あたかも、誤解が生じやすいように、作ってしまった、自分の立場のなさが

生き物に対する、慈しみや、穏やかな時間が基本的にないかのごとく、しっくり

こない自分への怒りとか、ののしられても、喧嘩にあけくれるひとの気持ちに

まるで、火に油を注ぐような、邪険な気持ちの取り直し方とは、まるで、自分が

楽観的に生きていることのささやきとして、ほんとはこうなんだろと、言いがかり

に聞こえる、自分の本音。様々な事象が重なって、自分の周りの騒動に耳を傾けて

いる、自分のよこしまな感じ方の癖がいっこうに晴れない、さえない、自分の悩みの

おこがましさに、本当の意味での自分の行いの正しさのみに、目を向けることの

事実や現実に対する目の配り方が、どうやってきにいられるか、きにしてみるべきか

いかんともしがたい、支配するための行為のナンセンスな言い訳。

そのすべての行いにYESかNOかで、決めかねる、自分がポジティブに感じることの

はかない気負いとせつない感動に周りの人のリアクションがきがきではないといった

自分の折れた、がっつりとした、自分の欲望にのみ、忠実に反応できていることの

人間性のなさ。

だからって、なんなんだといえば、なんでもないだろうと、思いにふける、自分の

内緒のはなしは、きっと、ネガティブに生きれない人間の腹立たしさの話にすり替わり

ポジティブな感じ入り方の人の思いに嫉妬や妬み、はたまた、内心、驚いているだけの

すり替わりかたの2重の嘘の作り方に、自分は、感じ切っているとうっすら微笑む自分

中身のすり替わり方の汚さ。

いよいよの感じは期待以上の中身の不安こそは、自意識の感じ方が極端に嫌えるほど

遠くに行ってしまうことの、感情の中身はまるで、本当の不安とは言えない、打倒な

感じ方が、ピークの不安のみに縛られている、どこかの答えの不安に似ていて、感動

的に怠けてしまう自分の恥知らず。

いまからでも、変わらなくてはと思いこんでは、そそくさと、自分の中にある、敵の

能力の判断がどこかにおいてけぼりになるときの、自分の弱さ。

悔いたい、あなどれない、自分の本能の引き出しには、まだ、何かがあったはずと思っ

て、躊躇なく意気込むほどの自分の中身の内訳は、人に対して、柔軟にあれとおもい、

一方で自分にやわく考える、考えの萎えかたの話の中身。

自分がポジティブに関して成功者ならば、他者はネガティブな中身の人間か?

自分がネガティブではないから、人は、ポジティブにひるがえるのか?

自分がポジティブでもネガティブにでもなれるなら、ところかまわず、人間として

ポジティブに反応して、ネガティブに陥る方法をしるのみに至るのか?

きっと、今どこにいると自分の場所に疑いながら、自分の恥に聞こえてくる、恥の

一部を感じているだけの、いかなる者かという、自問自答に術があるなら、きっと

心はポジティブにもネガティブにも流れていくことの甘さになるかもしれない。

それは、いかにも自分であるという、ポジティブな感覚がさながらのネガティブな自身

のなじりかたにさながらの人間としての明るみとして、生きがいにつかわれている言葉

の中に、ありがたいとおもえる、響きやフレーズがみえて、自分がネガティブに捉えて

いた、本当の言葉の怪しさに機会とかチャンスがきて、いきごみとかの問にたいしての

自分の返答が感動的に聞き入れるほど、自分にささやく、天使の様な人間の微笑みに

ある、自分への許しがいにつながると思う。

 

もし、自分にネガティブであるという思い込みがあって、自分がポジティブに思えない

心のよどみがあるなら、自分がそういうたぐいの意味をはき違えていることの若干の

価値の違いに、憧れや悩みに落とし込む、自分の等身大の心の中身がどっちでできてい

る、というほどでもなくして、自分次第に伸び縮みする、やり場のない自分との葛藤

に激しい情熱がきても、もう一度考えを吹き込ませることのできる、自分のなかの自分

とは、ポジティブなんだ。

そうでもないのに、自分が衰えていく気持ちの前になんかしらの感情がはいりこんでき

て、幻惑のように自分の気持ちをゆがませるのなら、きっと、それは、自分のネガティ

ブなんだとおもうことにする。

 

oneclover.biz

花3