ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

怒りに触れて、どう構える?

怒りに対して思うこと、それは、一瞬の摩擦である。
こういうことにこと関して怒りにに触れて、戒めを嫌うことの
抗いは、無垢な心の横暴さに、内心触れても
冷めない気持ちの空洞感に思えて、
一度おぼえた怒りのシグナルは、あらゆる憎悪にいびつ
に鈍る、人間の愚かさかもしれない。
人はいかに、怒らずにおれるのか?
よほどの辛抱で良い結果を待つのなら、きっと
人らしからぬ及び方で、また怒りを誘ってしまうだろうし。
逆らうこと、よしんば、ありがたいと思えず、涙にかえて
人を恨まず生きることは、孤島にいても、一人に泣けない
ような、簡単なことに思えないような、なすすべのない
自分の怒りに対する報復感の描写に心なくして
しまうようなものかも。
きっと、人の怒りなんてものに、土台、たいして意味を
見いだせないことの、本当の気持ちは、魂胆みえみえ
の自分の憤慨が、華奢な心に響くからだ。
こんなことにおののき怒りを抑えるときの無力感は、
一方的に何重にも縛られている、嘘の連鎖に思い
矛盾が褒美の形の「見栄」であると思いたい。
きっと、人は理解を超えて、自分を見据えて笑い
自分の未来に対して、自由に感じているときに
怒りの摩擦に滅びゆく他人の怒りに対して
勇気を持つだろう。
そんなこと許せないではなく、許してあげれる
人の感じ方に心があれば、怒りなんて魔法のような
もの、自分に唱えている、滲んだ孤独の悩みなんだ。
だから、殺気立った人にできることは、心の感じに
波打った不自由感は冗談のような出来事なんだ
てことを教えてあげたい。
きっと、うまくいかないことへの他人の目を逸らしたい
だけのことに思える。