今思うに、自分の持っているやさしさについて、若干見劣りするかの如く、
周りのやさしさに見返りを求めていて、自分なりのやさしさの言い訳をしていた
様に思う。
周りのらしからぬ雰囲気に悩み、苦悩をさらけ出そうとしすぎて、幾分かの
言葉に終始こだわり続けて、自分の誤解をうまく抑えようとして、答えに
いっぱしの心を結び付けようとして、今にも破裂しそうな心情をこらえきれず
にいて、周りから心配されてばかりだった。
今、思うには自分のいびつな感情のうちにやさしさが途絶えていて、自分と
も言えない人のような、感じのいいのか感じが悪いのか、よくわからない人の
さまよいぶりを見せていた。
もし、自分にやさしさがあるのなら、もっと、自分自身にある心の中身が
言い訳でもない本気の形で、意味を問わずとも、光あふれるような、簡単な
希望にあると思いたい。人の希望になればいい。それが、人を照らすのなら
自分はもっとありがたいやさしさを人に向けてみたい。
自分自身にも、降り注ぐやさしい気持ちはきっと、自分の自己満足を変える
きっかけとなり、自分にも人にも心持ち上げる、偉大な力であると信じたい。
孤独は闇の心なら、その支配を苛まされた人の気持ちに確固たる自信をもって
生きている喜びに感謝して、生かされることの大事さに、自分がやれるべき
事は何か。
手ごたえをつかむまで、あきらめないことである。
人はきっと感謝の気持ちをもって、人に嫌なことをさせないことを。自分の
心情に訴えかけて、自らの真意に絶えず問いかけて、嘘をつかないことだ。
やさしさの気持ちに包まれて、人は癒される、その心の強さに、感じ入って
気に入るまで頑張ってみたい。