ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

ほのかに思う自分という存在の証

本当の言葉とは、いきなりの心のなかの言霊である。

自分が思うことの基本的な考えが、自分の考えとして、今何かしら

のアイデアの思いが、自分との関係性のある、比較の有りようが

感情のなかに意味がなさない、ひとしおの思いにこだわりの形が

いかんともしがたい、自分の意味におもえて、自分らしさに思うとき

自分がいかに、アイデアのひらめきとして、自分が勘違いできると

おもいうる、自分の中にある、自分らしさのなかに、今があるのなら

いまがおもうほど生きがいとしての、自分に思う、自分の欲として

欲している、自分らしさのからくりに、思いえる自分の心の悲しさ

自分が自分がと思う我の中の、もう一人の自分のなかみが、一生そぐわない

人の気持ちに思うことの、自分の愛し方の基本的な本域の心のこだわり。

それが、自分との考えと他人との考えに落ち度のない支えのなかの本当

の苦しみが、いとも簡単に行いの余分さとして、一気に終える、一日の

徒労感が、いそしみかえる自分との葛藤の心、いきなりかえってくる

自分のなかの考えの有り余る謎として、いま、自分たちが生きていること

の本懐としていそしむことの難しさが、今以上の悩みになってくることの

心の過度な自分に対する不安の呼吸が、今以上の悩みになって降りかかって

くる、今以上の自分の立場のないがしろのなかに、自分がいることのこだわり

が意味をなくす時の恐怖心が、救いようのない自分の今の現状におもえて

自分が生きている、今の考えとして受け入れることのできない、行動の悩み

それが、自分のなかの本望として階段を上るがごとく、一階も二階も思いえない

自分のせいにしてしまうことの、心苦しさが、ありがたみや嫌われることからの

逃避にかんじていることの感情の憂さ晴らしのしようのなさが、あえて怒っている

自分のなかにある、自分が嫌になってしまう自分の心、それは、自分が生きがいと

すべき自分のなかの自分の居心地のない気分のなかで、どうしようもない自分の思い

それは、じぶんが他者と危ぶむ自分の本心の感じ方の思いが自分としての、自分の

感じ方の嫌いであって、自分が思うことの中身がいい意味で簡単で済むことの内心の

なかの不和感は、行き違いに生きることの自分の本音であって、自分の感じることの

こだわりとして、自分がかげろうのように揺れている奇人のように、一気に思いがすさ

んでいくことの、時期の感じ方があり、その答えの中にある、奇跡的な救いは、人が

そういうことのなんでもない思いに謎らって、思うことの、邪魔のような自分の存在の

すべてが否定されることはない。その思いとして、人が自分に何か思う時に、自分が

それに何かの思い入れがあることに気づいても、自分がそれを自分の考えとしてあって

なくても、いきさつどうり消えていく存在ではない証明として、人は自分にそうおもえ

ることのすべてを、なんでもないことのように思えるのだ。

自分が自分を押し殺すことの術のなかに、自分はどう思われているかの悩みは、所詮

自分の押しはかった自分の想像を超える何かにかわるまで、その人の考えでいいのだ。

自分は自分でほかにいいことがあることの想像のなかで、今ほどではなくとも、自分の

弱みを見せれることの、心のなかみは、そんな、自分の考えで生きていくことの、妨げ

にはならないのだ。

花6

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