とかく、常識に悩むぼくとしては、何が常識で何が非常識なのか?
自分が我慢できる人の非常識な一面ってなんだろうか?
とがっている人のつんけんした態度に合わせて、自分がそうあらないように
人に非常識を責めることの無難さにあわてて直す、自分の常識的態度。
何が常識的でも、常識からはずれた考えは非常識になるのか?
勘違いでもいいので、その考えを常識はずれな考えとして、取り合わないこと
を人はなんとなく常識にしてしまうのか?
本当は自分の思うことのできる、常識とは、見習うべきことのとっかかり
として、本来、背負うべくないことの習慣として、行いのなかの公式的
な標準的な考えとしておもえ、それ以外の皆がいかなる理由でもありがたがらない
行動のなかの言い訳にでる行為にも似ていると思う。
でも、そのどちらかでもなく、人の憶測のなかの、基本的欲求のなかに、自分も
知りえない、誰かがそうしたわけでもない、常識はずれの考えがあっていい。
「人がそのことを常識だといえば、ほかの人は非常識にならずにすむが
誰かが常識外れだといえば、その人はそのことになにかしらの自分の常識にない
答えをだせる。」