僕はとかく緊張しやすい体質である。「なにからなにまで緊張することなんて
感覚的にありえないんだけどなー」と思っていても、なんだか気持ちの中で
ゆがんだ自分との向き合いの感じ方における、らしくない思いが忍びよってきて
なんともいいがたい、もがきのような苦しみに襲われる。
もったいないなとおもうほど、僕が青臭い思いになれてなくて、思春期のころに
感じた「落ち着きのない自分はだめなんだ」という自分をおとしめたい自己
リベンジ感に自分が快く応じているだけの、普段どうりの僕の姿が、あまりにも
思いつめた表情をさらすことの恥が僕を襲ってくる、そこに、異様な緊張感が
生まれて、思いどうりの自分のように思えないのだ。
感謝しても、感謝しきれないほど、生まれてきたことを素直に喜びたいのに、
そう思えないのは、おとしこめた雰囲気だけの自分の笑顔のなさに、人の情けがありが
たくおもえても自分としての明確なスタンスが、あまり効果を発揮しないのは、きっ
と、感情のなかにある、まかないきれない自分の愛情にたいする、こだわりが男として
の僕の感じ方にプライドを見せようとしないのは、きっと、周りとの関係性のなかで
もまれて鍛えられることの気持ちの抗いがきて、自分をみせたくなくなってしまうこと
かもしれない。
それは、いかにプライドを本気に捉えても、自分が男として、じり貧になりやすい
体質の持ち主であることの答えが、気持ちを遊ばれているかのように誤解してしまい、
僕の本当の心のもちえかたとしての、気取りがちらほら見えて、一向に気分が乗らない
、それは、期待と裏腹の気持ちの中で自分がどうみられているのかという、面持ちの
気にし方が異常に感じて、人の思いに素直になれない=自分の思いに自信がもてない
気がする。
「男として、御託をならべるだけなら、じぶんがそう思いたいようにすればいいと
感情に言い聞かせて、自分がそうありたいと気づくことに緊張に勝てるヒントが
あると思いたい。」