ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

泣ける話

壊れた時計の針が止まっている。

その時計は2度と正しい時間を指すことはない。

その止まった時間が巡ってくるまでは・・。

もしも、時間がこの時を感じることなく止まったままなら、

幾分かの悲しい出来事すら忘れてしまえるのか?

いちるの望みにかけた、自分の幸せに重いおもしが乗っかって

心の一部に欠けた思いになるなら、いっそこのまま時が過ぎない事

をいのりたくなる。

僕は、ほかに何かないか?と希望を探そうとするが、いちいち気にする

人もなく、思いのほか安堵したい気持ちに彷徨う。

時の変化とともに、じわじわとやってくる、逃げ出したい気持ちは、

いま、自分が置かれている状況がすごく不透明な感じがして、

きりきり舞いになっている。

もうちょっとで、自由な自分になれそうで、いささか、なれないもどかしさ。

きっと、生きているだけの価値観の目覚めのなさに、自分だけが、こうなるのか

と落胆ににた思いにかられて、必死さを隠す。

「もう逃げたい」そこまでがんばったからいいじゃないかと言わんばかりの

途方もない人生の阿保さ加減にげんなりしてくる。

どこに、自分のらしさがあって、前向きな自分ってなんだろうか?

人がわかっていることのすべても、僕には知りえないことのように、その意味

すら、裏返しに聞こえて、自分を指しているかの、妄想にかられ、人の寛大さ

に自分が小さく見えてくる。

もう、本当のことは知るまいと、耳を閉じ、見えない世界として、目をふさぎ、

余計にいうまいと口を閉ざす。

僕の感情は一体どこの部分に現れてくれるのか?

これから、僕はどこまで自分をみつづけるんだろう。

たまには、他人のことでも見てみたいものだ。

もう殻を破ってもいつまでも続く、面持ちの悪い自分の体裁と関わりあうのは

勘弁こうむりたい。

居直りに似た、らしくない心の過度な反応の悪さに愛想が尽きた。

もう一度生まれ変わるには、自分として簡単なことか。

今一度、ありふれた孤独のなかで、かみしめる、思いのないことの

反発心で期待どうりのことをすることをやめる。

もし、人に思えないことを僕の悩みに入り込んできたら、どう、もがいても

抗えない、呪縛のような心の苦しみは、きりがいいときとして捨てる。

もしも、人格の中にもう一人の自分がいて、僕を責めてきても、僕本来の

気持ちとして、それに、いちいち素直に答える必要はない。

奴隷のようにふるまい、何でも言うこと聞きますみたいな、嚙みつけない犬

のような無邪気なしっぽ振りに人は喜んでいることか、といえば、それは

単純な深層心理における承認の気持ちにおもえるから、たとえ、そう感じられても

いいかのこだわりは必要ないものだとおもう。

楽に生きてはいけないのか?苦は人生にとって必定か?その判断のなかに、入り組んだ

気持ちの悪さに思う、苦に対する思い違いが自分に必然的に備わっているかのような

楽になることの戒めは説いておく。

泣き顔パブロ・ピカソ

oneclover.biz