人は卑怯とかずるい考えが走るときがある。
それでは、賢い人の考えとは、どんなものか、想像してみよう。
握りしめた拳が自分に対しての怒りか人に対するものか。
そんなとき、賢者はどう考えるだろうか?
一旦、放たれた怒りの感情の矛先が今にも自分か他者に向かおうとする。
その、怒りどのような内容のいかりであろうとも、自分にも他者にも到底
理解しずらい、ふっと沸き起こる怒りとはなにか?
自分も人も同じ人間である。その振り分けは個のなかの集団に対する思いが
いきなり答えを伴わない気持ちで揺れるときの、「自分は一体なんだ?」と
いう、おもいのほか自分が集団のなかで、落ちぶれていく様を想像するか
させられると、人は嫉妬にも似た、異様な殺気を帯びる。
賢者なら、個に習うことなく集団に交わることを、いとも簡単にできてしまう
のではないか?まあ言えば天才と呼ばれる人が、いとも簡単に才能を発揮して
しまうかの如く。
本当は、こういう類の怒りに触れることは、だれでも、勘弁願いたいのだが。
賢者は怒りをこらえてもなく、あっさりといいのけるかもしれない。
「怒りがこみ上げるのは、あなたのことかもしくは違う人のことかもしれない
だから、怒りが冷めないあいだに私がどう願わくばその怒りを静めることになるか?
それは、あなたがなんでもないことに気づいたときに願うことの一部として
私は君が怒っていたことをわすれよう!」