まどろんでいる間に、夢がさめるかのように、人生は過ぎ去っていく。
人の一生は、その人が思うほどつじつま合うかどうかは、そうも思えない。
逃げ惑う人の心の思いのなかに、人がいちいち、夢をあきらめまいとして、
自分の解放感を一蓮托生してくれることは、ないといったほうがいい。
夢をあきらめないことの大切さは、自覚のなかのほんの一握りにある
冷めない情熱のなかにあるようなもの。
夢が夢でおわること、それは、大事なものやひとを失うことに類義する
残念なことだ。
もしも、あのとき、この瞬間にこうしていればなんてこと、思ってみても
とても夢につながらない。
きっと、神様は夢をかなえることの本当の意味を形ではなく、見えない
支えとして、試練を課すかもしれない。
そんなとき、おぼろげに思う、自分よりももっとそうしてみたかった人の思い
親か友達か兄弟か、その人のために、夢をかなえることはできるか?
これだ!と思えた夢にまい進することのできる日々は、四の五の言えないことの
幸運の連続なのか?
言葉に詰まる感動の夢は、大半の人が一緒に見る夢だと思うから。
自分ばっか責められることの続きに、大きな夢はつまっていて、いずれ羽ばたく
ことできる、大きな可能性になること。それを、信じたい。