ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

変化の楽しみと自己理解

なりたい自分になること、それは、今自分がどういう人間であるか?という

指標のような物差しに計ったような、自分がどう変わっていけるかなんていう

ことの変化の楽しみがあるような気がする。

現状の自分に満足できてないという意味では、ある意味、高崇ではあるのだが

形だけの自分に見え隠れする、本当の自分に気づけていないという、自分の

気持ちの変化に例えようない、隠し味があったとしても、そのスパイスにこだわり

すぎて、自分のことばかり優先することの代償は、人も同じように変化していく

ことの、関わり合いのなかで、順位付けしていることの悪態の中身が、さらけ

だされていくことの、報復感を感じてしまい、とても、気持ちがいいものじゃない

と感じてしまう。

行き過ぎても、遅すぎても、自分は自分と開き直っているときにでも、自分以外の

誰かが、人の気持ちを感じて、十分過ぎる、時の過ごし方をもっている、意外な

充実感を感じて、なりたいようにというか、あるがまま、生きたいように生きている

のかもしれない。

それに習ってでも、合わせていくことのほかに、自分が変わっていけているという

実感を感じることはたわいもないことで、自分ばかりが変わっても意味がないよう

な気さえする。

人間は

環境に合わせて勉強を重ねていくものだし、失敗もしたりする。

だからこそ、同じ顔ばかりせずに、適度に違う顔も見せてみようと思えるような

気がする。

挨拶とか返事とか質問とか、周りに示すことの変化の兆しは、きっと、人は敏感

にとらえていて、きっちりそれに合わせてくれている。

だから、周りの変化に慌てず、合わせてみるのも、自分らしい、生き方に思えた。