ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

霊感を持つ手相の不思議な物語

お題「不思議な話」

わたくしの手相のはなしなんですが、神秘十字線と仏眼をもっております。

大変目づらしい手相のようでして。自分的にも興味あって、いろいろな

サイトを除いていると、どうやら、霊感を持っているのではないかという

話です。実際、僕は幽霊なんて、見たことありません。冗談として、近眼

なので、夜出てきても、コンタクトか眼鏡をしていないと、見えないとおもい

ます。霊感ってどういう力なんでしょうか?なんか、先祖さまに守られている

という、話をみつけました。実際、幽霊も先祖さまも先にこの世を去られたひと

ですので、接触したくても、できないはずなんですが・・。

なにか、メッセージみたいなものを授かっているものなんでしょうか?

自分には不徳のいたすことばかりの、理不尽さもありますから、なかなか

聖人のようになれない気もします。何かしらのパワーをもっているなら

使ってみたいですが、とりたたて、何も感じません。

誤解されてもいやなんですが、時たま人の声のようなものを、聴いてしまう事は

あるのですがね><

あまり、触れてはいけないことも、この世にはあるのかもしれませんね。

映画音楽の魅力

お題「映画音楽が好き」

最近、とくと映画をみていないなという感じである。

昔は、よく話題作を見ていたころが懐かしい次第で、その映画につきものなのが

映画音楽である。

この頃、サブスクリプションという、便利なものができて。

音楽収集なんて、おてのものである。私は、もっぱら、スポッティファイを

愛用している。

自分的にお気に入り映画音楽といえば、何だろうか?

バックトゥザフューチャーやスターウォーズとか、トップガンとか、メジャー

なものから、エクソシスト・カクテルなどマイナーな映画までいっぱいある。

とにかく、その音楽を聴けば、その映画を連想してしまう、すごいものである。

実際、映画のワンシーンでその音楽がかかると、ぐっと映画の雰囲気が盛り上がる、

という映画音楽というもの、映画に限らず、音楽というのは、自分からすると

一番、うらやましい才能ですね。歌ったり、作ったりできる人に、一目おいて

しまいます。

自分も才能として、文を打てるというのがあるので、人をあっと言わせてみたい

です。

 

ダイエットの謎:年齢と脂肪

最近、年齢とともに気になる、おなかの脂肪について。

なぜ、こうも知らないうちに太ってしまうのだろうか?

痩せる薬なんてもの、巷の噂では出てきているらしいのだが、どんな

ものなんだろうか?

でも、ダイエットも、自分にむいてるかどうか、よくわからない。

なぜなら、食べることが大好きだからだ。

昼はラーメン(いわゆるカップらーめん)を食べ、朝はマクドナルド

夜は肉が好きである。

そりゃあ、太るはずだなと、我ながら思う次第である。

野菜はまれにとる感じ。いい兆しとしては、果物である。

最近、イチゴをよく食すようになった。とにかく、胃がすっきりする

ようで、練乳をかけて食べると、この上なく、落ち着く感じである。

ここまで、書いたことを読み返してみても、自分としては、体重低下

はまた、夢の、また夢という感じだ。

自己探求の詩

たまには詩でも書いてみようかな。

「どこまで行けば 自分らしさをみつけれるだろうか?

大海原に航海にでかけるより もっと 身近にいけるところ

そこには いろんな人がいる きっと 本当の自分にあえる

人生は 究極の選択ばかりじゃない あいまいさも 必要さ

これは こうでなくちゃいけない なんて 不必要なのさ

ジリ貧で答えを探しあぐねて 戸惑う気持ちが 嫌なことでも

時間がゆっくりと 解決してくれる そんな 優雅な人生感で

人は 満たされるもんかと 生き急ぐものか それなら いっそ

秘密の何かを 打ち明けずに 進む 暗闇を照らす 意味はない

自由とは何か? そんなことに悩む自分に 恩恵があるとしたら

すぐにでも 何かを始めることなんじゃ ないだろうか?

逃げない何かに追い詰められて、泣く泣くひとを見殺しにする

そんな 卑怯に手を染めず 自分らしく生きてこう。」

 

書けない理由を考える

昨日は何も書けなかった。なぜだろうと、推測してみる。

このブログのテーマは日記である。

何かしら、気づいたことや感じたことあるいはほかのことでもいい、

書けることは、どんどん書いていくべきである。

何故か、筆が重いのは何であるのか?

気が重いんだろうか?悩んでいるんだろうか?単に飽きてきたか?

いままででも、毎日書いてきたわけではないが、ことさらに、書けなくなる

理由をほったらかしにしてきたような気がする。

これでは、定期的な発信はむつかしいと感じる。

物思いにふける時間より、考える時間より、書くことに時間を割くことは

不可能なのか?自問自答してみると、こたNO!である。

やればできるはず。

なぜなら、ブログを打つことなんて、誰もできないことじゃないからだ。

だれでも、できることである。

もっとも、優れた才能はきっと継続できることであると思いたい。

好きこそ物の上手なりである。

 

 

憂鬱からの脱出

今日はあいにくの雨模様だ。気温はさほど低くないが、日差しがない分

寒く感じるようだ。

これと言って、書きたいものないのが、いつもの僕のブログの向かい方

です。

いずれ、もっとたくさんのことや、いろんな表現ができるようになりたいから

無理やり文を引っ張って書いています。

ふと、最近思う事があるとすれば、昔ほど楽しいことってなくなってきたな

という、悲観論です。

とりたてて、面白いTVがあるわではなく、とびっきり、いい音楽もあればいいな

という感じ、読書もほどほどに熱中できるほどではないというのが、正直な

気持ちです。

なんかしら退屈なんだけど、なにをしていいものやら、わからずに携帯を眺めて

いるだけの生活です。

自分の人生があとどれだけなんて、明確な数字でもあるなら、いっそ、死ぬ前に

やっておきたいこととして、切迫感もって、エンジョイしたいもんです。

 

なにか、変化が欲しいとおもうのですが、なにも、思いつきません。

なまけものの、あだ名をつけられてもおかしくないくらいの、のほほんとした生活

メリハリがどうしてもつけがたくて、何かいいことないかなと、待ってばかりの

自分に嫌気がさすときもあります。

なんでもいいから、きっかけをつかむことが大事なんだろうか?と思いますが

きっかけすらも、あまり、いい兆しに思えず、見逃しているんでしょうか?

なんか、言い訳がましい、お金がないとか、時間が取れないとかに逃げているような

そんな、日常の憂鬱を晴らすことの大切さは、十分、感じ取っているのですが。

長い人生における、通過点として、経験しておきたいことは、まだ、明確ではない

ですが、いずれ、見つけてやりたいと思う、今日この頃です。

 

 

変化の楽しみと自己理解

なりたい自分になること、それは、今自分がどういう人間であるか?という

指標のような物差しに計ったような、自分がどう変わっていけるかなんていう

ことの変化の楽しみがあるような気がする。

現状の自分に満足できてないという意味では、ある意味、高崇ではあるのだが

形だけの自分に見え隠れする、本当の自分に気づけていないという、自分の

気持ちの変化に例えようない、隠し味があったとしても、そのスパイスにこだわり

すぎて、自分のことばかり優先することの代償は、人も同じように変化していく

ことの、関わり合いのなかで、順位付けしていることの悪態の中身が、さらけ

だされていくことの、報復感を感じてしまい、とても、気持ちがいいものじゃない

と感じてしまう。

行き過ぎても、遅すぎても、自分は自分と開き直っているときにでも、自分以外の

誰かが、人の気持ちを感じて、十分過ぎる、時の過ごし方をもっている、意外な

充実感を感じて、なりたいようにというか、あるがまま、生きたいように生きている

のかもしれない。

それに習ってでも、合わせていくことのほかに、自分が変わっていけているという

実感を感じることはたわいもないことで、自分ばかりが変わっても意味がないよう

な気さえする。

人間は

環境に合わせて勉強を重ねていくものだし、失敗もしたりする。

だからこそ、同じ顔ばかりせずに、適度に違う顔も見せてみようと思えるような

気がする。

挨拶とか返事とか質問とか、周りに示すことの変化の兆しは、きっと、人は敏感

にとらえていて、きっちりそれに合わせてくれている。

だから、周りの変化に慌てず、合わせてみるのも、自分らしい、生き方に思えた。